調査・研究Investigation
豊田氏の歩み
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979年(天元2年)
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藤原隆家、道隆の第4子として生まれる
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990年(正暦元年)
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藤原道隆、関白となる
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1006年(寛弘3年)
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藤原經輔、隆家の第2子として生まれる
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1014年(長和3年)
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隆家、大宰権師となる
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1019年(寛仁3年)
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隆家、筑前に来襲した刀伊を撃退する
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1029年(長元2年)
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豊田氏の祖、藤原長房、經輔の第2子として生まれる
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1054年(天喜2年)
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藤原長房、周防介となり赴任する
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1066年(治暦2年)
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長房、周防権守となる
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1069年(延久元年)
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長房、神上山大御堂を再興する
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1084年(応徳元年)
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長房、再び周防権守となる
この頃豊田氏2代大和守輔平豊田郡司として定住する
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1086年(応徳3年)
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3代輔行(長房嫡男)豊田郷に定住する
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1092年(寛治6年)
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長房、大宰府大弐を兼ね大宰府に住す
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1167年(仁安2年)
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7代種弘、豊田郡大領(郡司)となる
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1281年(弘安4年)
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元軍来襲、大内氏・厚東氏と共に11代種貞防戦にあたる
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1302年(正安4年)
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浮石八幡宮、豊田種貞が創建?
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鎌倉末期
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種冶、14代種秀の時、東殿を向山より御幣司へ分立
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1333年(元弘3年)
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北朝・正慶2)種藤・種本・種長ら、長門探題方で戦う
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1336年(延元元年)
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北朝・建武3)種治、足利尊氏・直義に従い京都に転戦
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1337年(延元6年)
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北朝・建武4)足利尊氏、種治に越前国主計保半分を与る
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1351年(正平6年)
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北朝・観応2)種本、厚東方の小野氏討伐で討死する
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1352年(正平7年)
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北朝・文和元)種治、向津具庄の新日吉神社社領を掠奪
北朝・文和元)12代種長、一ノ瀬で自決する
北朝・文和元)足利直冬九州を追われ種藤の豊田氏館に潜む
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1353年(正平8年)
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北朝・文和2)埴生孫右衛門、求休庵で種長の菩提を弔う
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1354年(正平9年)
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北朝・文和3)足利直冬、再び豊田氏を訪れる
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1363年(正平18年)
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北朝・貞治2)豊田氏、守護職下の豊浦奉行となる
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1365年(正平20年)
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北朝・貞治4頃) 種治,新日吉社領掠奪、豊前宇佐に配流
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1374年(文中3年)
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北朝 ・応安7)大内氏菩提興隆寺に豊田三郎,神馬を寄進
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南北中期以降
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豊田氏15代種世の弟種家、相続争いに敗れ二神島に移住
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1407年(応永14年)
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6代儀種・義種(東殿)、興隆寺に一切経を奉納する
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1486年(文明18年)
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大内政弘、豊田大和入道元秀に一ノ瀬50石を与える
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1544年(天文13年)
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19代種貞、東八幡宮に善神王像を道立、狛犬を寄進する
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1553年(天文22年)
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東八幡宮の社坊東光山日輪寺が秋の大祭の時に全焼する
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1555年(弘治元年)
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大内義長、日輪寺焼失を責め20代房種を追放する
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1556年(弘治2年)
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房種自決し、豊田における豊田氏亡ぶ
豊田氏宗家略系図
- 藤原道隆
- 藤原隆家
- 藤原經輔
- 藤原長房
- 初代 - 輔長
- 初代 - 輔平
- 3代 - 輔行
- 4代 - 輔継
- 5代 - 種継
- 6代 - 輔隆
- 7代 - 種弘
- 8代 - 種隆
- 9代 - 種綱
- 10代 - 種氏
- 11代 - 種貞
- 12代 - 種長
- 13代 - 種藤
- 14代 - 種秀
- 15代 - 種長
- 初代-種家
伊予国・二神氏へ
継承 - 16代 - 儀種
- 17代 - 弘種
- 18代 - 興種
- 19代 - 種貞
- 20代 - 房種(絶家)